英語教育

もう一週間前の記事ですが、英語教育について以下のような記事がありました。

英語教育に十分な指導を 千葉「正論」懇話会
第23回千葉「正論」懇話会(会長=千葉滋胤・千葉県商工会議所連合会会長)が12日、千葉市内のホテルで開かれ、「金ピカ先生」として知られる評論家で拓殖大学客員教授の佐藤忠志氏が「どこまで必要? 英語教育」と題して講演した。
 佐藤氏はまず、現在の英語教育の問題点について「話すことではなく、読み書きが主体になっている。文法も日常に使用する実用的な文法ではなく、理論的な文法を教えている」と指摘。その上で「生徒たちにしっかりとした指導をすれば、英語教育は中学校の3年間で十分だ」と強調した。
 さらに、学生時代に英語が苦手だった自身の体験を引き合いに出して、「言葉を覚えるためには標準的な発音を覚える必要がある。教師は正しい発音で教えなければならない」と訴えた。

もとの記事はこちらから。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/90279
こちらに来てみて、1年と4ヶ月ほどが経ちますが、非常に同感です。
ぼくは日本で標準的な英語教育を受けてきた人間だと思うのですが、とにかく最初は聞き取れませんでした(今もですが、、、)。マンチェスター訛りがあるとか、インド人の英語は抑揚がなくて速すぎるとか、BBCの英語ですら日本の英語教育で習うアメリカ英語ではなくてイギリス英語だから慣れていないとか、いろいろな理由は考えられますが、聞き取れないことだけは確かです。
なぜか?以前どこかで読んだか聞いたかした話なのですが、やはり母音、子音の数が英語と日本語ではまるで違うにもかかわらず、そのあたりをきちんと学ばないことが原因なのではないでしょうか。よく言われるLとRでもいいですし、日本人にはよくわからない、アとか、エとか、その中間の音とか、このあたりのぐちゃぐちゃした母音の違いでもいいのですが、知らない音は区別できないし、区別できなければ理解できない、という循環になるのだと思います。
以前、アとか、エとか、その手の音について、フランス人のクラスメイトが区別して発音して、「この違いは明らかじゃない?」と教えてくれたのですが、韓国人のクラスメイトとぼくは「ようわからん」という点で意見が一致していました。英語がネイティブでなくても、アルファベットを母国語で使っている人たちはこの「音」という面では、かなり理解力があるものと思われます。
そういう意味では、英語教育を何歳から始めるか、とかその手の議論については、いくら外国語として英語を習う国だからといって、母国語でアルファベットを使っているような国と比較して議論することにはまったく意味がない気がします。スタート時点が明らかに違うと思います。日本語を母国語として使っているのはぼくら日本人だけなのですから。
「識字率」という言葉がありますが、例えば手元の電子辞書に入っている「マイペディア」ではアメリカ合衆国の識字率は「成人の実質的な識字率は85%以下(1980年代後半)」とあり、中国では「84%(1997年、15歳以上)」、モロッコでは「44%(1995、15歳以上)」とあります。少しデータが古いですが、現在であってもすべての国で100%になっているということはまずないでしょう。
人間、読み書きができなくても、話したり聞いたりすることができれば日常生活に必要な最低限のコミュニケーションは取れるものと思います。また、よく英語の勉強法などの本で書かれている話だと、赤ちゃんがが生まれてきて言葉を発するようになるまで、そして徐々に普通の会話ができるようになるまで、誰も文法を教えません。誰からも文法を教わることなく、ひたすらまわりの人が発する言葉のシャワーを浴び続けることで、徐々に言語を理解し始め、人間は話せるようになるそうです。
そういう意味では、今の(ぼくが習った頃の?)日本の英語教育は、読み書きの比重が高すぎると思います。話したり聞いたりする練習があまりにも少なかった気がするのです。海外旅行に行くことを考えても、やはり読み書きよりは断然話し聞きの方が重要でしょう。何かの申込書に記入するのに、正確な文法知識はまず必要ありません。多少のボキャブラリーがあれば、ほぼ問題ないでしょう。入国審査で必要なのはむしろ話し聞きの方です。
ここまで書いてきて今思ったのですが、日本の英語教育はどんな目的を持ってやっているのでしょうか。つまり、英語環境の実生活で役立つ英語力を日本人に身につけさせたいのか、それともシェイクスピアとは言いませんが英語の小説などをバリバリ読めるような英語力をつけさせたいのか。最終的なゴールがどういった方向性なのか、よくわかりません。上の二例で言うならば、どちらかと言えば後者に近い気がします。
なんか勢いで書いてしまいましたが、要するに、どうせ学ぶのであればより実用的な英語を学ぶべきと思います。日本で生活していて、いくら英語の読み書き能力を身に付けたところで、ほとんど使う機会はないわけですから。

8 件のコメント

  1. 井口篤 返信

    てつじん、それはちょっと意味が分からないな。いわゆるオーラル・コミュニケーションに今よりもっと重点を置かなければならないのは分かるけど、だからって日本の学校で習う文法を中心とした教育にまったく効果がないわけではないと思うよ。てつじんにしたって、文法をちゃんとやってきたからイギリスの大学でMBAを続けることができているわけじゃない?(もちろん、それ以外にもてつじんの知性・能力によるところが大きいわけですが。)
    てつじんも書いている通り、日本語と英語(もしくはインド・ヨーロッパ語)の間の違いは大きいわけだけれど、だからこそ、我々非英語話者は体系的に英語をやらなきゃいけないんじゃないかな?つまり、文法や語彙を徹底的にやることによって。日本語がある程度母語として定まってから「英語のシャワー」を浴びることによって上達しようとするのは、かなり効率が悪いと思うな。
    あと、てつじんが引用している大学教授の見解は、なんら新しいところはないよね。ここ10年くらいずっと繰り返されてきた議論だ。それに、「理論的な文法」を教えてどうして問題があるのかな?ビジネスであれ何であれ、国際的な場で活躍したいのであれば、ちゃんとした文法にのっとった英語が話せて「かつ」書けなければみっともないし尊敬されないと思うけど。

  2. yokoken 返信

    コメントありがとうございます。すごく真剣に書いて頂いてうれしいです。
    書き方が悪かったのかもしれないですが、文法や読解が全く意味がないとは思っていません。以下のように書きましたが、バランスが悪いのだと思います。この点については井口篤さんも同じ意見かと思います。
    > そういう意味では、今の(ぼくが習った頃の?)日本の英語教育は、読み書きの比重が高すぎると思います。話したり聞いたりする練習があまりにも少なかった気がするのです。
    「文法をちゃんとやってきたからイギリスの大学でMBAを続けることができているわけじゃない?」
    とのことですが、もちろん日本で英語を勉強してきたからこそ、現在イギリスの大学でなんとかやっていけているのだと思います。ただ、中学から大学教養課程まであれだけやってきたにもかかわらず、それでもかなり苦労しているのは事実です。言いたいことが言えない、書きたいことが書けない、日本語だったら簡単に伝えられるニュアンスも、英語だとうまく表現できずにあきらめざるを得ないこともあります。
    英語そのものは、それ自体を目的とする人もいますが、多くの日本人にとっては手段だと思います。つまり、ビジネスであれば外国企業と交渉するために、学術研究であれば自分の研究を世界の人に向かって発表するために、必要な表現手段だと思います。またリーディングや、会話、リスニングを通じて情報収集のためのインプットの手段でもあるかと思います。
    その手段を身に付けるためにかけられる時間には限界があると思います。手段の部分はできるだけ効率的に身につけ、本業の部分に時間を割きたいと考えるのは自然なことではないでしょうか。あまりに時間がかかるのであれば、あきらめてしまう人も多いでしょう。
    「あと、てつじんが引用している大学教授の見解は、なんら新しいところはないよね。ここ10年くらいずっと繰り返されてきた議論だ。」
    英語教育の専門でも何でもないので、知らないのですが、議論が繰り返されて、教育水準は改善されてきているのでしょうか?例えば、TOEFLのスコアで計ることがよいかどうかわかりませんが、日本の平均スコアが低いのは周知の事実です。
    http://www.meti.go.jp/hakusho/tsusyo/soron/H14/Z04-03-07-00.htm
    何で他のアジア諸国と比べてもここまで日本人の英語力が低いのでしょうか。日本の英語教育は、どんな英語力を日本人に身に付けて欲しいと思って行われているのでしょうか。今の日本の英語教育法は改善の余地はないのでしょうか?現状の方法がベストなのでしょうか?
    なんか、もっといい方法があるんではないのかなぁ、と漠然と思ったひとり言でした。

  3. 井口篤 返信

    なぜ日本のTOEFLのスコアが低いのか?それは、きっと猫も杓子もみんな試験を受けているからなのではないのかな?それだけ多くの人が英語と真剣に取り組もうとしているわけですよ。結果はともかくとして。
    あと、確かにスコアのランキングでは日本がビリだけど、日本をトップのシンガポールやインドと比べても意味がないのでは?これらの国においては、かつての植民地支配の歴史ゆえに英語が公用語の一つになっていて、学校教育でも使われたりしているわけだから、上手くなるのは当然だよ。これは他のアフリカなどに数多く存在する、イギリスに支配されていた国々に関しても同じことだと思うけど。
    中国語圏に関してだけど、中国語は音も多いし、語順なんかも英語に近く (S+V+O)、中国人が英語をさほど苦としないのには、言語学的要因も大きいとは思う。中国人はあまり間違いも気にしないし。(そう、日本人は完全主義過ぎる。)
    さらに、(日本と同じくらいかそれ以上苛烈な学歴競争社会である)韓国では、早い時期からの英語教育が、児童の精神に弊害をもたらしている例も多数報告されているらしいよ。(昔新聞 (TLS) の記事で読んだだけだから、今データは挙げられないけど。)
    もちろん、英語の能力を正確に測ろうとすれば試験をするしかないんだろうけれど、TOEFLの点数が高いことは、TOEFLという試験が得意という事しか意味しないのでは?大学に受かることが、試験問題を解くことが得意であることしか意味しないのと同じように。
    これはすごく重要なことだと思うけれど、日本においては、英語を使わなくても生きていけるわけだよね。つまり、英語なんか喋らなくても一生を過ごすことができる。日本にやってくる海外の人の数は毎年増えているかもしれないけれど、ほとんどの日本人は英語を話さなくてはならない状況に身を置いたことがない。常々思っていることだけど、語学上達の一番の秘訣は、モチベーション、というか、必要性なのではないでしょうか。その必要性が、日本に住んでいる限りは、全くと言っていいほどない。そんな状況でどうやったら上手くなればいいのか?言うまでもなく、これは、「日本語しか話さなくていい」という全くもって幸せな状況の裏返しなわけだけれど。同じような例として、英語圏の人たち、フランス人などが挙げられるよね。彼らは英語、フランス語しか話さなくていいわけだから。知り合いのフランス人も、「フランス人は学校教育で長年英語を勉強するのに話すのはてんでだめだ」みたいなこと言っていたよ。その人の英語力をみてみれば、なるほどね・・・と思った。英語に比較的近い言語を話すフランス人においてそうなんだから、日本人においては何をかいわんや、だと思う。容易な解決方法なんてないよ。苦労し続けるしかない。
    確かに、英語教育においては同じような議論がずっと繰り返されていて、英語教育法においても大して進歩があるとはいえないと思う。でも、日本の英語教育の最大の改善点と言えば、技術的なことよりも、英語を必修科目から外すことではないのかな。そうすれば、やる気のある人、将来英語を「手段として」使って国際的に仕事をしようとする人たちが主体的に学ぶようになるんではないでしょうか。その結果、TOEFL の点数も上がるとは思う。ただ、そうすることがいいことかはわからない。個人的には、外国語を学ぶことは新たな世界への扉を開くことだと信じているから。

  4. yokoken 返信

    もちろんコモンウェルスの国々と比べて低いと言ったところで、過去の経緯があまりに異なるので、それはいかんともしがたい事実だと思います。
    それから中国なんかは、あれだけ人口がいるのに、これだけしか受けていないということは、かなりのエリート層のみ受験している可能性が高く、統計上のサンプルの影響をもろに受けている可能性が高いかもしれません。でも、台湾や韓国なんかは人口と比較しても、かなりの割合の人が受けている気がします。
    統計上の問題点はあるにしろ、20点の違いと言うのはかなり大きい気がします。差が大きい、小さいを言ったところであまり議論にはならない気がするのでこれ以上は書きませんが、少なくとも日本の英語力は他のアジア諸国と比べて決して高くはない、ということは言えるのではないでしょうか。
    「もちろん、英語の能力を正確に測ろうとすれば試験をするしかないんだろうけれど、TOEFLの点数が高いことは、TOEFLという試験が得意という事しか意味しないのでは?大学に受かることが、試験問題を解くことが得意であることしか意味しないのと同じように。」
    とのことですが、これは前のコメントでも書きましたがごもっともです。TOEFLのスコアが高い=英語能力が高い、とは一概には言えません。テクニックである程度スコアを上げることもできるでしょうし、実践で使える力を持っているかはまた別でしょうから。
    「これはすごく重要なことだと思うけれど、日本においては、英語を使わなくても生きていけるわけだよね。つまり、英語なんか喋らなくても一生を過ごすことができる。」
    その通りだと思います。これはどこからともなく聞いた話なのでまったく信憑性はないのですが、戦後、日本からの人材の流出を防ぐために、あえて英語のレベルを上げさせないようにした、という話があるようです。
    それはともかく、戦後、日本は人口が増加し続けてきました。グローバル化が進もうと、本当に英語が必要な人は外交や貿易などごく一部の人だけだったかもしれません。しかし、今後、日本の人口は減少の一途をたどります。人口が減っていくということは、経済的にはゼロ成長から、縮小におちいっていくことが予想されます。一方、現在の年金制度が破綻するのは目に見えており、若者何人に一人がお年寄りを支えるなんて話を聞いていると、ますます若い人の労働意欲を低下させてしまうのではないか、なんて思ったりもします。日本語で、日本人だけでやっていこうとすると、日本の市場は縮小していき、最終的にはどうなるのでしょうか(これがいいかどうかはよくわかりませんが)。
    インド人のクラスメイトの兄弟が日本で、生活しているそうなのですが、「言葉さえ問題なければ最高の場所だ」と言っているそうです。日本人が英語を学ぶのが難しいように、外国人にとっても日本語を学ぶ敷居は高いことでしょう。つまり、外国人にとっても日本は来づらい場所なのだと思います。だからこそ、Visit Japan なんかをやっているのかもしれませんが。
    http://www.vjc.jp/j/vjc.html
    ただ、いずれにしろ言葉の壁というのはかなり高い気がするのです。このあたりの話は、いろいろな方がいろいろなことをおっしゃっています(もしご興味とお時間があったら読んでみてください)。
    http://www.chikawatanabe.com/blog/2007/06/post-1.html
    http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/852df1be7017354c79352d8e601effff
    http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20070624/1182711632
    http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070624/p1
    http://satoshi.blogs.com/life/2007/06/post-3.html
    話が少しそれてしまった気もしますが、もともとは日本の経済が今後縮小していく中で、このままでいいのだろうか?英語がもっと自由に使えるようになったら、よいのではないか?というのが根底にありました。
    英語を必修科目から外したら、確かに英語を扱える人の平均レベルは上昇するかもしれません。国際比較のデータ上はランクが上がるかもしれません。
    だけど、日本はどんな方向に向かって進んでいくのか、進みたいのか。最近、なんとなくそんなことを考えてしまうのです。
    アイルランドやインドなどは英語圏からコールセンターなどのサービス業務をアウトソースされて経済を拡大させています。英語がペラペラだったら、世界中から仕事が降ってくる可能性があるわけです。
    できないよりは、できたほうがいいかなぁ、、、と思います。

  5. 三景 返信

    熱い議論ですね。小学校教育現場からひとこと。読み書きに関係ない英会話の授業は、小学生の子どもたちは大好きです。英語力をつけようという目的ではなく、英語との幸せな出会いとしては、有意義だと思います。でも、やっぱりその場合の先生はどこの国でもいいけれど、英語を母語とする人がいいと思います。これから日本の小学校では、担任の先生による英語活動が導入されそうな勢いですが、それは良くない。それこそ、「なぜさっきまで国語を教わっていた先生と英語で話す必要があるの?」と子ども心に思うからです。大人になって学ぶ場合には、日本人から教わるのも良いと思います。必要だと思って学ぶからです。年令に関係なく、必要だ、と思った時に英語力が伸びるのだと思います。
    小学校低学年から英会話を導入してもいいけれど、どう考えても一番大切なのは国語(日本語)です。わたしのブログにも書いたけれど、いくら海外で暮らしていてインターナショナルスクールに通っているからと言って、中学生になって「年令」という言葉を知らないようでは、社会に出てどうなることやら心配です。これは親の責任が大きいですが。英語は大切だけど、知性や教養があってこそ生かされるものだと思います。
    本当に、必要性は重要です。わたしの場合、生活をするうえでは英語がそれなりに使えるものだから、フランス語は必要ない・・・ ブリュッセルでは、仏・蘭に加えて、英語もほとんど公用語と言っていいくらいに通じます。ベルギーや、知っているところではスウェーデンなどでは、国が小さいので自国語だけしか使えないと困るのですね。翻訳された本や映画・ドラマなども限られているので、英語も必要だという意識は自然に生まれるようです。ポーランドのテレビでは、ドラマの吹き替えを全部同一人物(男性の低い声)がやっていました。びっくり。

  6. yokoken 返信

    実際に教育に携わっている方からコメントを頂けると、大変参考になります。ありがとうございます。
    「担任の先生による英語活動が導入されそうな勢い」なんですか?知りませんでした。小さいときにネイティブから教わるべきだ、というのは賛成です。目の前にいるこの人、もっと言えば世界中の人と話をするためには英語が必要なんだ、ということを強烈に感じるかもしれませんね。
    大人になってまでこれほど勉強するとはあまり考えていませんでしたが、大人になってからの勉強法というのは子供の頃の勉強法とはまるで違いますよね。おっしゃる通り必要に迫られてやるので、真剣度が違う気がします。
    なぜ必要か、ということを身をもって実感しない限り、なかなかやる気が起きないのかもしれませんね。
    「年令」という言葉を知らない、というお話ですが、読書量とかも関係しているのでしょうか。ぼくは小さいときは読書が嫌いだったので、人のことは言えませんが、、、
    吹き替えをすべて同じ人がやっているというのは、すごいですね。

  7. erucai 返信

    みなさん、英語教育について色々とお考えがあるようですね。私もみなさんの意見をよんで”ふむ、ふむ・・・”とうなずいてました(笑)。
    私はyokokenさんが言いたいこと、よくわかります。同じアルファベットを使っている人たちと日本人の私たちとでは、我々がなかなか英語になじめないのは仕方のないことですよね(笑)。ただ”話そう”と思ったら、子供でもできるのだから、それと同じように話せるようにはいくらでもなるとは思いますが、日本の英語教育ではアルファベットに親しみのない私たちが”会話”を学ぶのは、学校だけでは難しいと思います。我々、そういう勉強の仕方は習ってきませんでしたよね。yokokenさんのように、優秀な人は”感覚”で身につけるものは難しいでしょう(笑)。
    でも、私のアメリカ人の友達が言ってました。一見ペラペラ話せるような人でも、きちんとした言葉遣いができなければ、仕事では使えないって。もっというと、渋谷の女子高
    名前
    生のような日本語が話せても、yokokenさんのような会社に勤めることはできないし、そういうのは”話せる”ってことにはならないでしょう。
    私はバイリンガルでもないし、英語が話せるってほど話せるわけではないので今でも勉強はしてますが、yokokenさんのいうように普段の日常会話だけを考えたら中学3年までの知識で十分で、友達と話をするのに実際そんなに難しい表現は使ったことないし、普段の生活で日本語でもボキャブラリー少ないし、大した話はしてません。けれども、話す相手によってはもっと詳しく、的確な表現で伝えたいと思うことが出てきたり、実際仕事で使うときなんかは、これが意外と今まで勉強してきたことが役にたっているというか、受験のときに覚えたことや、TOEICの単語、役に立ってます(笑)。
    英語といえどもただの人が話す言葉ですから、自分の生活の必要に応じた範囲を学ぶことが必要なんでしょうね。
    yokokenさんはMBAを取るような人ですから、かなり高い語学力を身につけることと思います。が、意外とちびっこの話す英語がわからなかったりしちゃうのかもね(笑)。
    そういえば、この間オーストリアに旅行したとき、電車でとなりの席に座ったオーストリアの女性が英語は学校以外で勉強したことがないと言っていましたが、ネイティブと全くかわらない語学力でした。ウィーンでもほとんどの人が英語が話せるし、ベルリンよりもみんなが英語が話せる国でした。やっぱりお国ですかね。。。
    私は英語は幼稚園の頃からならっていて、どちらかというと話すのはアメリカ英語で、BBCよりCNN派です(笑)。同じ英語でも、イギリス英語を聞いていると確かに疲れる気がします!!でも、小さい頃はイギリス人の英語の先生もいたみたいで、”わからない”っていうほどではないかな。日本語の関西弁と同じ気がします。
    yokokenさん、勉強ではなくただの”言葉”としての英語を学ぶなら、ニュースだけではなくコメディやドラマも見たほうがいいですよ。それで、実際友達にそこで使っていた言葉、使ってみて下さい(笑)。どうでもいいけど、日本では今”小島よしおの「そんなの関係ねぇ~」がはやってます”。そちらで流行ってる言葉とか、知ってる??語学は人と人をつなぐ手段のひとつですから、同級生のお友達もいいけど、家の近くの人や現地の人たちと沢山交流して、マンチェスター生活を楽しんできて下さい!!

  8. yokoken 返信

    erucaiさん、コメントありがとうございます。
    ぼくは、シンプソンズの英語は理解できないでしょうね、きっと。まあ、MBAの英語も理解できてないんですが、、、
    それから、マンチェスターの大人の英語も理解できませんが、、、たまに、ロンドンの人の英語を聞くと、感動するんですよね。英語って、こんなにクリアーだっけ、と。
    それはともかく、こういう英語力を身に付けるべき、というのは一概には言えないんでしょうね。例えばerucaiさんのおっしゃるように、くずれた英語しか話せなかったら、仕事では使えないか、と言えば必ずしもそうではないと思います。
    セールスパーソンとして、ネイティブのお客様のところに行くような仕事の場合は、きちんとした英語を使わなければ、バカにされてなかなか売上げに結びつけることは難しいかもしれません。
    一方、ぼくも社内で英語を使うことはありましたが、グループの海外拠点の人間と話をするとか、社内で使ってる分には意志が正確に伝わりさえすれば、文法的に多少おかしくても仕事はある程度できるかと思います(もちろん、より正確に話せるのに越したことはありませんが)。
    これはぼくの勝手なイメージかもしれませんが、話したり、聞いたりするのは小さいときにできるだけたくさんやり、文法や読解などはある程度大人になってからでも勉強できるような気がするのです。後者はある程度は独学でできる気がするのですが、リスニングやスピーキングはやはりネイティブの人に直接習う方が効果的かと。
    普段耳に入れるものを、BBCとFTのポッドキャストから、フレンズ、シンプソンズ(なぜか共にアメリカものですが)とかに変更しないとダメですかねぇ、、、

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