私の財産告白
本多 静六
蓄財や資産運用といった内容の本かと思って読んでみたのですが、想像以上に深い内容でした。多面的な角度から人間の本質に迫るというか、なんというか。スゴイです。
生涯の生き方、すなわち人生計画を、「四十までは勤倹貯蓄、生活安定の基礎を築き、六十までは専心究学、七十からは山紫水明の温泉郷で晴耕雨読の楽居」と定め、かつ毎日一頁以上の文章執筆と、月給四分の一天引き貯金の二つの行を始めた。 (私の略歴)
満二十五歳の時に、このようなことを考え始められたそうです。
本多式「四分の一天引き貯金法」
いくらでもいい、収入があったとき、容赦なくまずその四分の一を天引きして貯金してしまう。そうして、その余の四分の三で、いっそう苦しい生活を覚悟の上で押し通すことである。 P.23
貯金の問題は、要するに、方法の如何ではなく、実行の如何である。
貯金=通常収入×1/4 + 臨時収入×10/10 P.24
この「容赦なく」ってところが重要なんだと思います。考えてしまうと、人間なかなかできないと思います。それにしても、4分の1というのはけっこうな割合ですね。
自分のネウチが銀もしくは銅でしかないのに、暮らしのほうは金にしたい。金メッキでもいいから金に見せかけたい。こういった虚栄心から多くの人が節倹できないのである。銀はどうせ銀、銀なりに暮らせばいいのであるが、さらに人生をより安全にし、生活をより健全にしようとするならば、むしろ一歩退いてー事実は一歩を進めてー実力以下の銅なり、鉄なりの生活から出発していくべきだろうではないか。 P.31
意外と金に見せたがる人っていますね。
いったい、人生の幸福というものは、現在の生活自体より、むしろ、その生活の動きの方向が、上り坂か、下り坂か、上向きつつあるか、下向きつつあるかによって決定せられるものである。 P.69
この方向って考え方は重要だと思います。絶対水準で不満を言っても、常に上には上がいるし、下には下がいますから。上を向いては不満を言い、下を向いては優越感に浸っていては、自分はなかなか成長できないのではないかと思います。上向いていればいいし、上向いていなければ上向くようにがんばればいいだけですから。
ところで、この人生に最も大切な経済生活の独立には、何職、何業にかかわらず、積極的に働いて消極的に節約耐乏するよりほかに途はない。いく働いても節約しなければダメ、それはちょうど笊に水を盛るようなものだ。またいくら節約してもー節約を通り越して吝嗇にすらしてもー働かなければダメ、それはちょうど徳利の中の水を守るようなもので、ついには腐って臭気を発するばかりだ。
もとより吝嗇と節倹とはまったく別物である。吝嗇は当然出すべきものを出さず、義理人情を欠いてまでも欲張ることで、節倹とは似て非なるもはなはだしい。節倹は出すべきものをチャンと出し、義理人情も立派に尽くすが、ただ自分に対してだけは、足るを知り、分に安んじ、一切の無駄を排して自己を抑制する生活を指すのである。
ところが、この両者が実際世間からは往々同一視せられ、節倹がいかにもしみったれな、吝嗇であるかのように罵られやすい。 P.72
吝嗇と節倹の違いというのは大きいと思います。しかも、同一視されやすい気がします。
渋沢さんはよくこういっていた。
「事業というものは、儲かるものでなければ成り立たない。儲からなくてただ有意義だというのでは、結局長続きしないで、せっかくの有意義が有意義でなくなる。儲かる上に有意義ならなおさら結構だが、なんとしてもまず事業は儲かることが先決問題だ。しかし、この儲けを一人占めにしようなどと企てては結局失敗である。儲けるのはみんなで儲けなければならぬ。またみんなで儲かるようなものでなければ、いい事業、いい会社にはならない」 P.132
つまり、ギリギリ一杯の儲けを君一人で取り上げてしまわないで、当人にも分け、お客さまへも割り戻すことだ。それならまず繁昌もしようし、経営者にも張り合いが出てくる。 P.136
Win-Winの関係を作る、なんてよく言いますが、まさにあれですね。何事もバランスが重要なんだと思います。ボランティアだけではなかなか続かない、かと言って自分のことだけ考えて利益を追求していてはいつか破綻する。お客様、経営者、従業員、株主、その他利害関係者のみんなが何らかの形でハッピーにならないと長続きは難しいと思います。必ずしも金銭の形である必要はなく、バリューはさまざまな形で享受し得るとは思いますが。
世の中なんて、どこも彼処もだいたい似たり寄ったりで、人間が集まり、人間の棲むところ人間の問題のないところはない。 P.142
なるほど世の中というものは、自分一人の得手勝手な行き方ではいけない。どんな些細なことでも、一応周囲の思惑を考えてみる必要がある。 P.152
MBAに行ってみて、世界中の国から集まったクラスメイトと話していて感じたことの一つがこれでした。世の中、どこも一緒なんだなぁ、と。日本は官僚主義的で、まったく改革が進まない、なんて話をしてみると、いやうちの国だって同じだよ、なんて話をこれでもかというくらい耳にしました。程度の差や、論点の違いなどはあるのでしょうが、結局は人間と人間の関係をいかにうまくやっていくか、ってのが会社生活のみならず、私生活を含めて重要なんだと思います。
そして、自分がこのような行動に出たらまわりはどんな反応を示すだろうか、なんてことを少しでも考えておくかどうかで、結果はずいぶんと異なってくるのかもしれません。相手やまわりの立場になって考えてみるクセをつけるとよいのだと思います。
職業を道楽化する方法はただ一つ、勉強に存する。努力また努力のほかはない。
あらゆる職業はあらゆる芸術と等しく、初めの間こそ多少苦しみを経なければならぬが、何人も自己の職業、自己の志向を、転職と確信して、迷わず、疑わず、一意専心努力するにおいては、早晩必ずその仕事に面白味が生まれてくるものである。 P.187
「天才マイナス努力」には、「凡才プラス努力」のほうが必ず勝てる。 P.190
人生即努力、努力即幸福、これが私の体験社会学の最終結論である。 P.206
がんばります、ハイ。
私は四分の三ですが・・・。
単なる、吝嗇なのでしょうが。
貯金の水準と、吝嗇であるかどうかは別の話でしょう。
ぼくも四分の一よりはかなり高めだと思います。